女川町の復興を追った渾身のドキュメンタリー「サンマとカタール」

ヒューマントラストシネマ有楽町で上映中の
映画「サンマとカタール」のチケットをいただいたので、行ってまいりました。
sanma&qatar.jpg
宮城県女川町は、東日本大震災の津波被害により住民の1割近くが犠牲となり、8割近くの住まいが流されました。
あの日被災した多くの市町村の中でも、人口比では最も激烈な被害を蒙った町が女川でした。
2015年3月、JR石巻線の「女川駅」が開通。そして12月には駅前商店街とプロムナードがオープンしました。
そこに至るまでの様々な住民の熱い思いを、本人の言葉やナレーション、定点観測の映像とで綴った復興のドキュメンタリーです。
人間の持つ可能性、人と人とのつながり、いろいろなことに胸を熱くさせられた映画でした。

なかでも、中東カタールからの温かい支援には、驚かされました。
カタールという国について、詳しく知る日本人はけっして多くないと思います。
震災直後、復興支援基金を立ち上げたカタール。カタールが現在のような経済発展を遂げるきっかけとなったノースフィールドガス田のLNGプロジェクトに、日本の企業が技術や資金援助をしたことが日本とカタールの友好関係のはじまりだったそうです。カタールでは、この時の日本企業の支援をいつまでも大切に思っており、日本の未曾有の災害を知り、いち早く「カタールフレンド基金」をたちあげ、総額1万ドル(約100億)の資金を提供。その最初のプロジェクトとして採用されたのが、女川の大型冷蔵冷凍施設「MASKER(マスカー)」の建設でした。

すべてを失い、絶望の淵にいた人々にとって、この「MASKER」は希望の灯になりました。
女川は日本有数のサンマ漁獲量を誇る漁業の町。震災により水産加工施設は壊滅的な被害を受けます。漁業の町として再興するために必要な施設こそ、この大型冷蔵冷凍施設「MASKER」だったのです。
このプロジェクトをカタールにプレゼンテーションした石森洋悦さん。
大型冷蔵冷凍施設さえあれば、必ずまた水産加工業者が女川に戻ってくる...
そんな石森さんの熱い思いと、かつてカタールが漁業で栄えた国だったこともあり、このプロジェクトが一番に採用され、20億円の資金援助を受けられることになりました。2012年4月から工事が着工され、同年の10月15日に操業が開始されました。
工期がたった半年という、驚異的なスピードで実現したMASKER。それは、サンマ漁になんとか間に合わせたいという地元の熱い願いと建設に携わった大成建設の所長らの苦労の末に実りました。

地元の若者たちが企画した「女川町復興祭」。
震災翌年からスタートしたこの祭りの実行委員長である淳さんを中心にカメラが追います。

「逃げろ!」の合図で高台に向かって一斉に走る「復興男」は、この復興祭の目玉イベント。
津波の教訓を忘れないために考えたアイディアです。

女川の須田町長は、巨大防潮堤を建設しないという決断をしました。
千年に一度といわれる津波の被害に遭い、更地になった土地に新たな町を作るためのグランドデザインを描くことは、将来にわたって大変な責務を背負う仕事。須田町長は、他の市町村が防潮堤を築いていったのに対し、海とともに生きてきた町の歴史をこれからも残すべく、海が見え景観に大きく影響を与える防潮堤は選ばず、その代わりに津波が来ても逃げられる、建物は失っても人命は失わない町を作ることを決めます。

いろいろな登場人物の「難しいだけで、不可能はない」が伝わって来る映画です。
上映中、涙が溢れてくるのは、私の席の見ず知らずの男性も同じでした。
ぜひ、多くの方に観ていただきたいです。
1日1日を大事に生きなくては...と本当に思えます。

上映は、5月27日(金)まで
ヒューマントラストシネマ有楽町
※1日1回(9:50〜の回)のみ上映なので、事前に調べてから足をお運びください。

Powered by Movable Type 5.2.7

このブログ記事について

このページは、Nancyが2016年5月22日 22:24に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「3331 Art Fair 2016 つづき」です。

次のブログ記事は「Charles Fréger:YOKAINOSHIMA」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。